ミルフィーユの傍らで

 マスコットの付いたカバンをひっくり返します。
 猫足の着いたチェストをひっくり返します。
 白いカフェテーブルを……ドレッサーを……鉢植えを……本棚を……ひっくり返します。
 ……ひっくり返します。ひっくり返します。

 「なんということでしょう……。どこにもありません」
 スマートホンを無くしてしまったようです。おまけに部屋はめちゃくちゃになってしまいました。
 スマートホンを探す私のこの姿の、何とスマートでないこと……。スマートホンの主として、彼にとても申し訳がありません。
 しかし、今はそんな場合ではありません。もう一度ひっくり返した教科書の方に目を向けます。
 入学してから今までの教科書が乱雑に混ざってしまい、できの悪いミルフィーユの様になっています。
 美味しくはなさそうですね。
 ……そんな場合ではありません、あれを他の人に見られたら、私は恥ずかしくて悶絶死してしまいます。
「あ、そうです!」
 とりあえず、私は家の電話から自分にかけてみることにしました。受話器を手に取り、自分のスマートホンの番号を押します。
「どうか……どうか……」
 私の耳に『電波の届かない場所か——』と聞こえ、当然、部屋からも荷物からも、着信音は鳴りませんでした。一応、聞き耳も立ててみましたが、振動もありません。
「……困りました」
 私の様な機械音痴に、スマートホンは早かったのでしょうか? 買った時も『難しいもの』というフィルターがかかってしまい、防水ですら『ボースイ』という、私の知らない単語に思え「そのような機能は結構です」と断ってしまったほどです。
 個人情報の塊ですし、見つからないにしても、何とか中身を消去したいです。どうにか、スマートホンを見つけなければ。
「でも……私だけではもう、どうしようもありませんし……」
 私はそのまま、家の電話からある人に電話をかけます。その人の番号は諳んじており、すぐにかけることができます。 「もしもし? えっと、どちら様ですか?」
「あ……えっと、わ、私です。すみません、家の電話からで……すみません、知らない番号で驚きましたよね?」
「ああ、キミだったんだね。そういえば、この番号……何となく見覚えがあるな……とは思ってたんだよ。そっか、子供の頃に見た番号だったんだ」
「お、覚えててくださいましたか」
 心が温かくなるのを感じます。
「それでどうしたの? この前スマホを買ったばかりなのに、何でわざわざ」
「その件なのですが、実はスマートホンを無くしてしまいまして……。どうにかならないものかと」
 私は、今まで行った一通りの探し方を彼に伝えました。
 彼は……私の想い人です。人に見られたくないものというのも……彼に対して送ろうとしていた、告白のメッセージだったのです。
 けれど、読み返したところ、本当に恥ずかしくて……ベッドでゴロンゴロンしたくなってしまいます。ああ、思い出したくありません。
「結構大変な状況だね。見つけられるかな?」
「見つかってもらわないと困ります。でないと」
「心当たりのある場所は?」
「今日は……家から出ていないので、お部屋のどこかにあると思うのですが」
「俺も行って、一緒に探そうか?」
「ふえぇぇ!? だ、ダメです! それだけは絶対に!」
「え? 何で? 昔はよく遊びに行っていたのに」
 言えません……だって、もし見つかってしまったら……私は。
「いいから、今から行くよ」
「ま、待ってください! きょ、今日はその——」
 私は色々な理由を考えます。そして咄嗟に浮かんだのが。
「——い、家で殺人事件が起こりまして! 現場保存をしておかなければならないんです! だから、お家にあげることができないんですよぉ〜」
「……キミは、ホント昔から嘘が付けない子だよな。で、本当はどういう理由?」
「う、嘘じゃありません! ここには、すごくえっと……見るも無残な……潰れたシュークリームのような……ぼこぼこのご遺体が……」
 我ながら、何故それをチョイスしたのかわかりません。少々自分の機転の利かなさに、呆れてしまいます。
「あ、あの……中身だけでも消す方法はないものでしょうか?」
「う〜ん……電源が切れてると、ちょっと難しいかな。ていうかさ、それだけ探して見つからないって……なんかおかしくないか?」
「おかしい……とは?」
「いや、家に泥棒が入ってきたり……そういうことも考えた方が……何なら警察を呼んだ方が」
 警察なんて呼んで、あれを見られてしまったら、私はどうすればいいのでしょう?
「け、警察は大丈夫です! 先ほども言った通り、ここにはご遺体がありますので!」
「いや、それまだ続けるの? まあいいや、それならしょうがない……その殺人事件の捜査の為にも、警察は呼んだ方がいいんじゃないか?」
「で、ですが、犯人は私ですので……警察を呼んでは逮捕されてしまいます」
「あはは、まあ、それじゃあしょうがないな。諦めるしかないだろ……」
「ダメですダメです! 警察も貴方も、来ないでください……来られたら私、死んでしまうかもしれません!」
「はいはい、付いていってあげるから、殺しちゃったんなら自首した方がいいよ。というわけで、今から行くよ」
 私にはもう、打つ手がないようです。無力感に苛まれ、私はその場で膝をつきました。
「すごい痛いです……」
「どうしたの?」
「全力で膝から崩れ落ちたせいで、膝のお皿が割れるかと思うくらいに痛かったです」
「何してるんだよ。っていうか、そんなに嫌なのか?」
「えっと……その」
「……もしかして、スマホに恥ずかしいものが入ってて、それを見せたくないとか?」
「そ、そんなところです……。赤面ものです」
「そっか、気が利かなくてゴメン、女の子だし、そういうの見られるのは嫌だよな。よし、それじゃあ俺の彼女に、そっちに行くように伝えておくよ」
「あ……」
 実は、私の思い人は、私以外の方とお付き合いを始めてしまったのです。
「女の子同士なら、見られても恥ずかしくないだろうし、俺の彼女はそんなことで笑ったり、バカにしたりする子じゃないからさ」
「そう……ですか……。わかりました」
「それじゃあ、俺の方からあいつには電話しておくから、見つかったら連絡くれよ」
「はい」
 そう言って、私は電話を切りました。
 ふぅ……と溜息をつくと、スマートホンが鳴り始めました。
 アップテンポの、今はやっている曲でしょうか? 画面に目をやると、あの人の名前と写真が表示されています。
「『俺の彼女は……そんなことで笑ったり、バカにしたりしない……』ですか」
 少し笑ってしまいます。
「あなた……私のこと、笑いましたよね? 馬鹿にしましたよね?」
 そう問いかけますが、返事はありません。まあ、当然です。
 鉢植えや本棚の下で、潰れたシュークリームのようになっているのですから。
 ……美味しそうではありません。
「あ、そういえば……ここは探していませんでした!」
 出来る限り、私の痕跡は残したくなかったのですが……彼女の肩と太ももを掴んで裏返します。
 むわりと血の匂いがします……ああ、なんて気持ちが悪いんでしょう。
「……あっ♪」
 その血だまりの中に、私のスマートホンを発見しました。
 何で彼女の下敷きに? ……ダイイングメッセージでも気取ったつもりでしょうか?
 私はそのスマートホンをつまみ、汚い血をふき取ります。
 では、約束通り、彼に見つかったとかけましょうか。
「……あら?」
 電源が入りません。
 色んなボタンを押してみますが、やはり、電源は入りませんでした……。
「はぁ……やはり、防水にしておくべきでした」