「ある男の行方」

  • 星野正一

※音声作品用のテキストデータにつきましては、作者様のご了承のもと、L-boom編集部が加筆修正を行なっております。また収録に際しまして、声優やスタッフの判断により、改変やアドリブが加えられている場合がございます。


 連日の戦で流れた血が、川面を赤へと染めていた。
 川縁(かわべり)には、鈍く光る武器の名残や、侍武者の骸(むくろ)が折り重なっていた。いずれ私もその列に加わるのだろうか。
 戦は大敗だった。
 国土から総動員した農兵の士気が下がってからは、目も当てられない惨状だった。
 逃亡する兵が続出し、そこから雪崩をおこしたように軍勢は崩れた。
 敗走に次ぐ敗走を繰り返し、それでも敵は追撃の手を緩めなかった。
 私だけが落ち延びたのだ。
 ふと、近くで荒々しい声が木霊した。
「落ち武者狩りか……」
 周囲を見渡せば、川から少し離れた土手に人が入れるほどの穴を見つけた。
 その穴へ、倒れるように転がり込んだ。
「これは……」
 そこに、地蔵が祀られてあった。
 すっかりと古さびており、緑色の苔がその体にまとわりついていた。
「私の存在もあなた様のように、この世から忘れてもらえれば命も助かるのでしょうに」

 間借りさせて貰っている手前、地蔵の苔を拭き取った。
 横になると、これまでの疲れが一度に吹き出た。
 もはや一歩も動けない。逃げる気力も失せた。
 いっそのこと、このまま眠りにつき、その間に殺して貰えぬものか。
 そんなことを思っていると、いつの間にかに眠りに落ちていたのだろう。
 ふと呼ぶ声に目を覚ました。
「もし、お侍さんですか?」
 とうとう見つかったかと思ったが、その声は柔らかく女人(にょにん)のものであった。
 体を起こすと、目の前に居たのは私より一回りは若い、大層綺麗な娘だった。
「私は見ての通り侍だ。先の戦に敗れ、ここまで落ち延びて参った。そなたは?」
「夫を探しています。旗印を見てご存知ではないかと思いお声をかけさせて頂きました」
「ひどい負け戦だった。もはや生きてはおるまい。それより、ここは危険だ。そなたのような娘の居るような場所ではない」
「それでも、探さなければならないのです」
 そう言うと、娘は探し人の特徴をつらつらと述べ始めた。
 聞き流すつもりでいたが、思いがけず心当たりがあった。
 決戦前夜、娘の話に出てくるような男と世間話をしたのだ。
 その男は、妻があるとも話していた。
「心当たりがあるやもしれぬ」
「本当でございますか?」
「その男は大層な強力(ごうりき)の持ち主であった。決戦前夜、前線へと駆り出されていったがその後のことは杳(よう)として知れぬ」
「左様でございますか……」
 娘の脱力していく様は、思わず目を背けたくなるものがあった。
 と同時に、終生伴侶となる相手のいなかった私からすれば、このように悲しんでもらえる存在がいることを羨ましくも思った。
「お世話になりました。失礼i致します」
 娘はふらりと穴を出ていった。

 娘が出て行った後も、しばらく娘のことを考えた。
 周囲には戦の残党や、落ち武者狩りの郎党がたむろしている。
 無事ではすまされまい。
 いや、娘のことを案じる立場ではない。
 そろそろ私も覚悟を決めねばならぬのだ。
 そう思案し、短刀に手をかけようとした。
 しかし、短刀はどこにも見あたらなかった。
 戦の最中、矢は尽き、刀は折れ、それでもこのような事態に備え、最後まで残してあった一本だ。
「まさか……」
 私は洞穴を飛び出した。
 川の淵を走ることしばらく、人の倒れているのを見つけた。
 近づくと、果たして先ほどの娘だった。
 娘は血を流し倒れていた。その横には、私の短刀が落ちていた。
 まだ息がある。
 腹を斬った痕はあるが、傷はそれほど深くない。
 出血だけが問題だ。
 このまま眠っていては、血は止まらず、結局命を落とすだろう。
 娘を揺り起こした。
「何故、死なせてくれなかったのですか」
 開口一番、娘は泣きながらにそう訴えた。
 これにはさしもの私もいくらか怯んだが、
「戦場(いくさば)で散々死を見てきた。戦も終わったというのに、これ以上無用の死を見たいとは思わぬ」  と説くと、
「申しわけございません。私が軽率でございました」
 娘は頭(こうべ)を垂れた。

 その晩は穴で過ごした。
 変な気を起こすのではないかと思い娘の様子を見ていたが、静かに眠りについた。
 次の日になると、娘はいくらか元気を取り戻していた。
「一つ頼みがあります。家まで護衛して頂けませんか?」
「それは無理な相談だ。これでも武将をやっていた頃は、それなりに名が知れていた。見逃して貰うことなど叶わぬだろう」
「それでしたら、私の夫ということに致しましょう。そうすれば、追っ手や落ち武者狩りの目を欺けるはずです」
「私といれば、そなたも危ない目にあうやも知れぬぞ?」
「もとより失った命です」
 どのみちこの場で果てるものと思っていた身だった。
 私には娘の申し出を断る理由はないように思われた。
 娘はどこから用意立てたのか、農民の服を持ってきた。
 私はそれに着替えた。
 娘の村まで歩く間、残党狩りとおぼしき郎党に幾度となく遭遇したが、声をかけられることもなかった。

 難なく、娘を村に送り届けた。
 田畑は焼かれ、家々は荒らされていた。
 それでも戦も終わり、避難していた者共が少しずつ戻りつつある。
「ああ、弥助(やすけ)さんとこの」
 娘を見て駆け寄る者の姿があった。
 近隣の付き合いのあった女らしい。
 女は不思議そうに私のことを見てきた。
 娘が、夫以外の男を伴っていたので、不思議に思ったのであろうか。
 それを察した娘は、事の成り行きを説明した。
「あんたんところもかい」
 どうやら、女の夫も帰ってこないらしい。
 これから男手が必要だというのに、村には若い男の姿がほとんど見あたらない。
「困った時はお互い様だよ」
 そう言い残し女は帰った。

「ここです」
 村外れに娘の家はあった。
 小さいがごく普通の家屋だった。
 娘をそこまで送り届け、
「役割を果たしたので、私はこれで失礼いたす」
 踵を返そうとしたところ、娘に腕を掴まれた。
「無理を承知でお願いします。ここで一緒に暮らして頂けませんか」
「そなたには夫がおるであろう」
「話し相手が欲しいのです」
「村の衆がおる」
「行く宛てはあるのですか?」
「それは……」
 この国に、私の逃げ場所など何処にもない。
「なぜ、そうまでして世話を焼こうとするのだ?」
 そう尋ねると、娘は困ったように顔を俯かせた。
「分かりません。ただ、そうしなければならないような気がするのです」
 なんともつかぬその言い分が、娘の本心のように聞こえた。
 諦めて娘の言う事を聞くことにした。

 娘の家の隣に納屋がある。そこを私の仮住まいとした。
 村での暮らしは忙しかった。朝早くから日が暮れるまで田を耕した。
 あっという間に、二月(ふたつき)ばかりが過ぎた。
 その頃になると、生き残った村の男衆が続々と帰還してきた。
 しかし、その中に娘の夫の姿はなかった。
 娘は当初こそ、戻って来る男共の中に自分の夫がいることを期していたが、それもそのうちに潰(つい)えた。
 数年が経った。
 初雪の降りしきる頃、何の前触れ無くそれは訪れた。
 娘の家から悲鳴が上がった。
「何事であろうか?!」
 私は急いで娘の家に乗り込んだ。
 そこにあったのは、喜び抱き合う男女の姿だった。
 男の顔には見覚えがあった。戦の前日に話したあの男だ。
「そうか、ようやく帰って来たのか。これでお役ご免というわけだな」
 暇乞いをしようと、娘に話しかけたのだが、奇妙なことに、いくら話しかけても娘は私のことに気がつかない。
「私の姿が見えていないのか? いや、まさかな」
 胸に引っかかる思いを抱えながら、納屋に引き返すと、そこに地蔵があった。
 それは、かつて落ち武者狩りから逃れた折、穴で見かけた地蔵だった。
 その瞬間、私の体は霧のように薄くなった。
「これは……一体……」
 その時、全てを思い出した。
 私はあの穴の中で自害して果てたのだ。
 最後に残った短刀を使って。
 こうして命を長らえることができたのは、もしや……。
 目の前の地蔵に目を向ける。
「確かに、あなた様のようになりたいと願ったのやもしれませぬが」
 そう思えば、これまでの私に対する娘の態度の数々にも合点がゆく。
 満更でもなかった、と二人を見守りながら消え行く仮の体に感謝した。