「宙の彼方のナディエージダ」

  • 徒川ニナ

※音声作品用のテキストデータにつきましては、作者様のご了承のもと、L-boom編集部が加筆修正を行なっております。また収録に際しまして、声優やスタッフの判断により、改変やアドリブが加えられている場合がございます。


 遙か昔の人は、星は希望の象徴だなんて思ったらしい。
 でも、宇宙は永遠ともいえる時間をただ膨張し続けているだけで、星はその空間を孤独に彷徨っているだけだ。
 そんな事実を知って尚、彼らはそんな風に思ったりしたのだろうか。
「あいつらはどうして輝いているんだと思う? クドリャフカ」
 座席に腰かけた僕の目の前。操作盤のありとあらゆるランプを明滅させながら彼女は答える。
『恒星の光は、恒星中心部で発生する核融合反応により余った質量が、エネルギーとして変換された結果です。質問の対象が惑星であるならば、それは恒星の光を反射しているだけです』
 味も素っ気もない答えだ。
 まぁ、宇宙航行用の自律プログラムに愛想を求めるのが、そもそも間違っている。
『五分後にナディエージダの大気圏(たいきけん)に突入します。ベルトを装着して下さい』
「……りょーかい」

 僕の暮らしていたスペースコロニー・A027は、寿命が近付いている。
 そこで掲げられた一大プロジェクトが、故郷である惑星ナディエージダへの帰還だった。
 八度の無人探査機派遣を経て、今回初めて有人調査艇の出航が決まった。僕はそのパイロットに選ばれたのだ。
『大気圏突入まであと三分です』
 コックピット前に張られたシリカガラス越しに見えたのは、濁った灰白色の巨大な球面――惑星ナディエージダだ。
 かつては緑の多い恵まれた星だったらしいが、放射能により汚染され、核の冬と呼ばれる氷河期に突入した。今も地表は氷に覆われたままだ。
 そんな場所に再移住を考えなければならない程、僕たちのスペースコロニーは追い詰められているのだ。

『大気圏に突入します。五、四、三、二……』
 クドリャフカのカウントダウンに合わせて、歯を食いしばり目を閉じた。
 間もなく船全体にガツンと大きな衝撃が走った。6.5G(じー)を超す重力加速度は無重力空間に慣れた体には堪える。
「くっ……!」
 その衝撃に耐えると、そこから先は、あっという間の出来事だった。
 ものすごい速さで近付いてくる白い地表と、そこに至るまでの空間を塗りつぶす暗い鈍色。やがて無彩色の世界に、赤いパラシュートの花が咲く。スプートニク号は二度の衝撃の後、無事地表へと着陸した。
『着陸完了。防護服装着後、ハッチと昇降口のロックを解除します』
 僕はよろけながら席を立ち、訓練通りの手順で防護服を身に着ける。
『ロック解除。遠隔通信モードへ移行します』
 ヘルメットのスピーカーから、直接クドリャフカの言葉が聞こえてきた。了承の意を伝えてハッチを開く。更にその向こうの分厚い扉を押しのけて、注意深く辺りを確認した。
 外に身を乗り出した僕を最初に出迎えたのは、思わず耳を塞ぎたくなるような轟音だった。唸り声をあげたのは気流だろう。体勢を立て直して、足を滑らせないようにゆっくりと梯子を降りる。
 どこまでも続く灰白色の地平が広がっていた。
 呼吸を詰めながら、ゆっくりとそれを踏みしめる。みしっという音と共に、自重で身体が沈んだ。
「なんだ、これは?」
『雪です』
 独り言のように呟いた声に、クドリャフカが反応する。
「これが、雪……」
 つま先で思い切り蹴り上げてみた。飛び散ったそれらは吹きすさぶ風に乗り、薄明かりを反射しながらきらきらと辺りを舞い踊った。
「すごい……」
 思わず声が漏れる。
 どれくらい冷たいのだろう。その温度を感じてみたい。
「――大気の汚染レベルは?」
『規定値よりマイナス七』
「マイナス七? 人体に害がないレベルか? 防護服を外しても?」
『放射能汚染の心配はありませんが、凍傷を起こす危険性があります』
 外気温はマイナス三十度を示している。
 とはいえ、母親が子供に注意を促す程度の危険だ。
 グローブを外し、ゆっくりと腰を屈め、足元の雪に触れてみる。
「つめたっ!」
 そんな雪の感触を味わいながら、五本の指で雪をすくい上げた。それを、思い切り頭の上に放り投げた。粉々になった雪が、きらきらと舞い落ちる。
 ふと、違和感をおぼえて目を細める。
 雪の中に、一点だけインクを落としたように冴えわたる暗緑色。僕は腰を屈め、注意深く地面の雪を取り払った。
 緑色のつやつやとした、葉だった。
「クドリャフカ……この、植物の名前は?」
『マザーオブサウザンズ。常緑の多年草です。サクシフラガ、ユキノシタとも呼ばれます』
 指先でゆっくりと、その葉を、茎を辿(たど)っていく。そこをごうごうと流れる水の音が、皮膚を通じて身体の奥底まで、響き渡っているような気がした。
「――いき、てる」
 自然とその言葉が唇から零れ落ちた。
『宙(そら)を見て下さい』
 クドリャフカの声に促され、僕は宙を見上げた。
 うわ、と思わず声を漏らしそうになった。
 大量の星が光を放っていた。
 一日で、一瞬だけ晴れ渡る瞬間があるという報告を受けていた。それが今なのだ。
 大気により瞬(またた)きを伴ったそれは、かつてこの星に暮らしていた人が目にしていたものだ。
 ナディエージダ。
 不意に、この星の名を思い出した。
 かつてこの星に暮らしていた人の言葉で、『希望』を意味する。
 ――たぶんこの星は、僕達の《希望》になる。
 胸の内に、そんな思いがわき上がった。
「クドリャフカ。地質調査に最適なポイントを教えてくれ」
『承知しました。ナビゲートします』
 まずは、僕がその足がかりになろう。