「山羊、牧場に降り立つ」

  • 杜乃日熊

※音声作品用のテキストデータにつきましては、作者様のご了承のもと、L-boom編集部が加筆修正を行なっております。また収録に際しまして、声優やスタッフの判断により、改変やアドリブが加えられている場合がございます。


「メェ〜」

 澄んだ青空が広がる昼下がりの、山中に生い茂る緑の牧草地。
 私は途方に暮れていた。
 山羊飼いの娘として育ってきたが、その経験を以てしても対処法が思いつかなかった。

 山羊だ。空から山羊が降ってきたのだ。
 しかもロケット噴射で。

 足の裏からエンジンを逆噴射させて着陸する姿を見た時は目が点になった。
 足にブースターエンジンが内蔵されているような生物は、世界を探してもこの山羊だけだろう。
 こんなことが実際に起きるだなんて誰が予想できるというのか。

 謎の山羊がやってきたおかげで、周りの山羊は風圧で吹っ飛びかけた。
 散乱した草花が境界線となって、他の山羊たちは怯えて近寄ろうともしない。

 しかし、空から降ってきても相手は山羊だ。
 ならば、ここは山羊飼いの端くれである私の専門分野だ。
 どうにかしなければ。
 しかし、どうすればいいのだろう……?

「ほら、あなたのご飯よ。美味しいぞ〜」

 とりあえず思いついたのは、餌付けをすることだった。
 まずは警戒心を解いて仲良くなろうという考えだ。
 これには自信がある。
 私の牧場で使われている特製のエサは、山羊たちの中で評判が良い。
 ご飯の時間になると、声高らかに鳴いてねだってくる。

 牧場の山羊にあげるために持っていたのが幸運だった。
 他の山羊たちのランチが遅れてしまうのは申し訳ないが、この状況では仕方がない。
 これだったら、きっと彼……謎の山羊も気に入ってくれるだろう。
 
 私は謎の山羊に恐る恐る餌を袋から出して、器へ盛る。
 彼はエサの入った器に鼻を近づける。
 匂いを嗅いでいるようだ。
 じっくりと隅々まで検分するようにして。

「ベェ〜!」

 一際高く鳴いて頭を左右に振った。
 どうやらお気に召さなかったらしい。
 軽くショックなんだけど。

 こうなると他の手を考えないといけない。
 落ち込む私の脳裏に、ふと子供の頃に祖父から聞いた、山羊の世話に関する極意を思い出した。

『いいか、鳴子(めいこ)。山羊と接する時は引け腰にならずに世話をするんだ。でないと山羊の方も警戒して心を開いてくれんからな。人間関係においてもそうだ。受け身に回れば良い関係は築けない。儂も高校時代に、あの子にもう少しアプローチをしていれば、今のバアさんと結婚することは無かったのだがなぁ……』

 余計な部分まで思い出してしまったが、その時の祖父の遠い目は子供心に深く刻まれていた。

 つまり、相手が謎の山羊だからといって変に身構えていたら、向こうは警戒心を強めてしまう一方だということだ。
 逆に言えば、こちらから誠意を持って歩み寄ろうとすれば自ずと向こうも心を開いてくれる……はず!

 ということで、私はスキンシップをとることにした。
 相手が正体不明の山羊とはいえ、見た目は普通の山羊だ。
 いつも通りのことをしてあげれば、少しは距離も縮まるはずだ。

 山羊の頭に、そっと手を伸ばす。
 思い切って撫でてやれば、少しは懐いてくれるかもしれない。
 そんな淡い希望を抱きつつ、頭に触れる直前まで伸ばしてみた。

「ンベェ────!!!」

 怒りを露わにされてしまった。
 頭で私の手を弾くと、そそくさと私から距離を置いてしまう。
 まるで「俺に気安く触るんじゃねぇ!」と訴えるかのように。

 予想以上に気難しい山羊だった。
 他の山羊だったら間違いなく心を開いてくれるというのに。
 一度怒らせてしまっては、何をしても逆効果になるだろう。
 ここはしばらく様子を見た方がいいのかもしれない。
 新たな作戦を考えるためにも、私は一度小屋の方へ戻ることにした。


 背後に気配を感じる。
 どうやら後ろを付いてきているらしい。
 さっきはあれほどツンツンと尖った雰囲気を醸し出していたのに。

 これはもしかして、あの山羊は世に言う萌え要素の一つ、ツンデレなのでは?
 なにそれカワイイ。

 山羊の方を振り返る。
 すると、山羊はその場に立ち止まってあらぬ方を向く。
 私は再び小屋に向かって歩き出して、しばらく進んでから振り返る。
 山羊はそっぽを向く。
 何度か繰り返した後、私はもう一度立ち止まり、振り返って山羊を見つめる。

「あなた、本当は私と一緒にいたいの?」

「……メェ」

 ばつが悪そうに目を逸らす山羊。
『べ、別にお前と一緒にいたいわけじゃねぇからな……! 腹が減ってさっきのエサが食いたくなっただけだから!』
 そんなことを考えているように思える。
 やはりこの山羊はツンデレだ。
 突然飛来してきたとはいえ、この場所は彼にとっては見知らぬ土地。
 周りの山羊たちが怯えて近づいてこない中、唯一頼れそうなのはこの私。

 他愛のないことを考えている内に、彼の姿がとても愛おしく見えてきた。
 真っ白な毛に、ちょこんと生えた角。
 垂れ下がった黒い目。
 外見だけでいえば普通の山羊と何ら変わりない。

「……もし良かったら、私の所で住んでみない?」

 その言葉を告げるのに逡巡することはなかった。
 迷子の山羊を見捨てておくなんて、山羊飼い失格だ。

「メェ!」

 彼は嬉しそうに顔を上げる。
 それから私の元へ駆け寄ってくる。
 思わず頬が緩むのを感じた。
 駆け寄った山羊は、自らの頭を私に差し出してきた。
 頭を撫でてほしいのだろうか。
 さっきのお詫びなのかもしれない。
 その申し出を快く受け入れ、撫でることにした。

 艶のある毛並みは触っていて気持ち良い。
 その撫で心地に、この山羊が紛れもない動物であることを思い知る。

 彼は一切抵抗せず、されるがままに動じない。
 彼も気持ち良くなってくれてるのかもしれない。
 これはもっと触れるチャンスだ。
 より丁寧に撫でるためにしゃがみ込む。
 頭から首元、続いて顎の辺りを撫で回す。

 カチッ。ん、カチッ?

 ヒゲに埋もれたところで硬いモノに触れたかと思うと、目の前の山羊に異変が起きる。体が小刻みに震え出したかと思うと、

「メェ──────!!!!!」

 突然雄叫びを上げた山羊の足元から風が吹き出す。
 どうやらジェットエンジンが噴射しているらしい……って、どうして!?

 私は吹き飛ばされそうになりながらも自力で後ずさる。

 徐々に宙へと浮かぶ山羊。
 そうして、別れを告げることなく空の彼方へ飛び立った。

 山羊が飛んで行った方向を、私はただ眺めることしかできないでいた。
 噴煙が描いた軌跡は、やがて静かに消えていった。