「乙女の残した痕跡本」

  • 上村夏樹

※音声作品用のテキストデータにつきましては、作者様のご了承のもと、L-boom編集部が加筆修正を行なっております。また収録に際しまして、声優やスタッフの判断により、改変やアドリブが加えられている場合がございます。


 何気なく手に取った古本は、欠陥商品だった。

「あぁー! この本、マーカーで線が引かれてるー!」

 お客さんのいない店に、私の声はよく響いた。
 ここは古書店『文撃堂(ぶんげきどう)』。
 私は最近、この店でアルバイトを始めた高校生だ。

 私が怒っている理由。
 それは本棚に並べようと思った単行本に線が引いてあったからだ。

 線の引かれたページを睨んでいると、

「千佳ちゃん、声大きい。どうかしたの?」

 近づいてきたのは、同じ高校に通っている真尋くん。
 私より一つ年下のくせにタメ口をきいてくる生意気なヤツだ。
 たしかにアルバイトでは真尋くんが先輩だから、頼りにしているところもあるんだけど。

「真尋くん、これ見てよ。この経済の本に線が引いてあるの」

 本を見せると、真尋くんは「お」と声をあげた。
 小さくてくりくりした目が、何か面白いものを見つけたかのように輝いている。

「これ、痕跡本じゃないか」

「コンセ・キボン? フランス料理かなにか?」

「さすが千佳ちゃん。間違え方が常軌を逸してる」

「どういう意味よ」

「素敵な感性だってこと」

 よくわからないけど、ばかにされていることだけはわかる。
 だって、真尋くんの口もとがニヤニヤしているんだもの。
 今みたいに、真尋くんはいつも私をからかってくる。
 もう、私のほうがお姉さんなのに。

「というか千佳ちゃん、痕跡本知らなかったの」

「う、うっさいなぁ。わからないから教えてよ」

「やだ。教えない」

 私は「教えなさいよー」と文句を言いながら、真尋くんの頭を揉みくちゃにする。
 彼は背が低いので、女の子の私でも頭をわしゃわしゃできるのだ。
 真尋くんは「やめろって」と不機嫌そうに髪の毛を手で直した。
 むっふっふ。さっきのお返しだもんね。

「で、真尋くん。痕跡本ってなんなの?」

「痕跡本っていうのは、前の持ち主が使った痕跡が残された古本のことだよ。書き込みがあったり、手紙が挟んであったりすれば、それはもう立派な痕跡。挟んである栞やレシート、本のヤケ具合も痕跡と言えるね」

「ふぅん。でも、書き込みがあったら商品価値ないじゃん」

「売り物にはならないよ。でも痕跡一つ一つに、前の持ち主の想いが残っている。前の持ち主はどんな人で、どんな想いで痕跡を残したのか……本を通じて想いを知るなんて、なんだかロマンがあるでしょ?」
「でもこれ、ただの落書きだよね? ロマンとかなくない?」

「……ふぅ。これだから千佳ちゃんは」

「ちょっと! やれやれ顔しないでくんない!?」

 可愛くない! ほんっとに可愛くない後輩だ!

「落書きかどうかは、ちゃんと持ち主の想いを知ってからにしてほしいな」

「そう言われても……この本、線が引かれているだけじゃん」

「いいかい、千佳ちゃん。線が引かれている単語に注目して」

 言われたとおり、線が引かれている単語を拾っていく。
 西洋史、経済、財政、統計……この四種類の単語に線が引かれていることがわかった。

「これがどうしたの?」

「見覚えない?」

「見覚えと言われても、私、こんな難しそうな本読まないし……」

「ヒントをあげる。このお店の棚のどこかにも同じ単語があるよ」

 棚――その言葉を聞いてすぐにピンときた。

「わかった、本の分類だ!」

 文撃堂では、単行本はジャンルごとに分類されている。四種類の単語は、その分類されたジャンルに当てはまる。
 たとえば、経済のジャンルは単行本コーナーにある。『経済』と書かれた見出しが、棚からぴょこんと顔を出していて、そこに経済に関連する本が並んでいるのだ。

「よくできたね、千佳ちゃん。えらいえらい」

「えへへ……って子ども扱いするなっ! 年上! 私、年上だから!」

「じゃあ千佳ちゃん、その単語をCコードに変換して」

「Cコ―ド? 私、ギターはやったことないよ?」

「あ、うん……説明するね」

 真尋くんに可哀そうな人を見る目をされた。
 くそぅ、いつかぎゃふんと言わせてやる。

「Cコードっていうのは、図書分類コードと言われる4桁の数字のことだよ。裏表紙のバーコードのあたりを見てごらん。定価の上にCの文字と4桁の数字があるでしょ?」

「あった。このれがCコード?」

「うん。前の1桁目と2桁目の数字にも意味があるんだけど、今回は無視して下2桁に注目して。この2桁の数字は本の内容、つまりジャンルを示しているんだ。例えば心理学の下2桁は11、コミックの下2桁は79って具合にね」

「へぇ。この痕跡本の後ろ2桁は33……経済の本みたいだけど、33の分類は経済?」

「うん。33は経済、財政、統計のジャンルだよ」

「あ……それってマーカーの単語!」

「ちなみに西洋史は22。厳密に言うと、外国の歴史って分類だけどね」

 真尋くんは「というか、Cコードを知らないのに、どうして本の商品補充ができるの?」と私を睨んだ。
 私がフィーリングで本の棚入れをしていることがバレた瞬間である。

「そ、その話はおいといて! 結局これ、なんてメッセージなのかな?」

「千佳ちゃん。少しは自分で考えなよ」

「えへへ。考えるの、苦手なんだもん」

「だろうね」

「おい」

 自分で言うのはいいけど、真尋くんに言われると腹が立つ。

「千佳ちゃんにヒント。五十音の表を思い浮かべてみて」

 五十音。ひらがなのあれか。
 五十音表は横に十行、縦に五段。右から「あいうえお」の順に並んでいる。
 表と数字が関係しているとすれば……。

「わかった! 行と段にCコードを当てはめるんだ!」

 22という数字を十の位の2と、一の位の2に分解し、それぞれ行と段に当てはめる。2行目は『か行』。2段目は『い段』。つまり22は『か行い段』――『き』に変換できる。

「正解。33は?」

「3行目は『さ行』。3段目は『う段』だから……『す』だ。『き』と合わせると……『好き』?」

「そういうこと。前の持ち主が好きな子に宛てたメッセージかもしれないね」

「回りくどいなぁ。直接好きって言われたほうが嬉しくない?」

 少なくとも、私は好きな人に「好きです」と言われたほうがときめく。
 まぁ実際に言われた経験はないので、想像でしかないけれど。
 
……ふと視線を感じる。
 真尋くんはむすっとした顔で私を睨んでいた。

「真尋くん? 怒ってるの?」

「べつに。千佳ちゃんはバカだなって」

「な、なにさぁ!」

「俺、休憩行ってくるから」

「あ、ちょっと!」

 真尋くんはスタッフルームに引っ込んでしまった。
 急になんなの? わけわかんないよ。真尋くんのおこりんぼ。

「でも、私の謎解きに付き合ってくれたり、意外と優しいよね……」

 謎解きに限らず、真尋くんはいつも優しい。
 私が雨の日に傘を忘れたとき、傘の中に入れてくれた。
 しかも私と家が反対方向なのに、家まで送り届けてくれた。
 最近だと、私が風邪をひいて学校を休んだとき、お見舞いに来てくれたこともあったっけ。
 でも、真尋くんは可愛くない。すぐ私のことをからかうんだから。

「……もう少し可愛げがあればなぁ」

 真尋くんのこと、好きになっちゃったりして……なんてね。
 
 何気なく痕跡本をぱらぱらとめくる。
 奥付のページで私の手は止まった。
 心臓がとくんと脈打つ。ほっぺが、かあっと熱を持った。
 余白のページに「真尋から千佳ちゃんへ」とペンで書いてあったのだ。
 
 この本の持ち主は真尋くん、なの……?
 好きな子に宛てたメッセージ。真尋くんはそう言った。
 もしかして……恥ずかしくて直接口では言えないから、こんな遠回しな方法で告白を?
 何それ。真尋くん、乙女か。私より可愛くてどうするの、男の子でしょ。

「な、なななっ……!」

 こんなの、不意打ちすぎる。
 彼が休憩から上がってきたら、どんな顔をして会えばいいのだろう。

 静かな店内で、私の心臓の音だけが、やたら大きく鳴り響いていた。