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反逆4

黒崎野道

 魔女は、巨躯を引きずるように進んだ。そのような歩みになっているのは、背中のリボンが長く手の形に伸び、未練たらしく地面を引っ掻いてるせいだ。ズルズッ、ギギギッ、と慟哭の音を鳴らし、ひどく耳障りだった。目指す先は、あの丘の上の公園。その場所は朽ち果て、いつの間にやら巨大な断頭台が聳えていた。

 結界内のわたしの目は、結界内の侵入者を見つけた。

 巴マミと美樹さやか。

 二人の会話まで拾うことができた。

「あれが魔女……」

「怖がらないでやって。ああ見えて、一番辛いのはあいつ自身なんだ」

「笑えねぇなぁ」

 二人の元に、佐倉杏子が加わった。

 ――……殺して。

「待ってくれ!あれは暁美ほむらなんだ!君たちは仲間と戦う気かい?」

「キュゥべえ?」

 インキュベーターに、まどかまで揃っていた。

 ――……見ないで。

「へぇ、アンタ普通に喋れたんだ?」

 佐倉杏子の言葉に、インキュベーターは失態に気がついたように黙った。

「残念だわ、キュゥべえ。これでもうベベの話を信じるしかないみたいね」

 巴マミは、インキュベーターに冷ややかな目を浴びせた。

「まどか、君ならほむらを救えるはずだ。君が持っている本当の力に気づきさえすれば」

 インキュベーターの口三味線に、まどかは反応した。『使い魔』たちが、わたしの見つけた侵入者達を排除すべく動き出した。。

「そいつはほっときな、まどか。大丈夫、さっきあたしが教えた通りにやればいい」

「う、うん」

 まどかは納得したように頷いた。

 『使い魔』たちの勢いは止まらなかった。

 刹那、巴マミの手元にあった人形――魔女のベベが跳ねた。かと思うと、少女に変身した。ぼんぼんのついた黒の猫耳フ―ドと首輪。黄昏色のカ―ディガンにココア色のかぼちゃスカ―ト。水玉の入った黒のロングソックスに真っ黒の靴。魔法少女だった。

 新たに現れた魔法少女は大きな喇叭を取り出すと、空に向かって吹いた。シャボン玉が浮上し、見滝原の上空を覆っていた青空に、ヒビが入った。また無数の『使い魔』が召喚された。それまでに円環の理によって導かれて行った魔法少女たちの、かつて、魔女として災いなした時の『使い魔』だった。

 わたしの『使い魔』たちは、明確に、侵入者を敵と認識した。

「慌てなさんな、あんたとやりあおうって訳じゃない」

 美樹さやかは自らの胸を剣で突き刺した。突き立てられた剣勢により、心臓は体外に飛び出し、穿たれた穴から夥しい血が流れた。流れ出る血の中を、何かが泳いでいる。半身を鎧で覆い、半身は魚の尾の形をしていた。それは魔女オクタヴィアだった。流血が血溜まりを作ると、ようやくその巨躯が通り抜けられるとばかりに、美樹さやかは心臓を高々と掲げた。オクタヴィアが結界内に姿を現すのと同時に、心臓は水色に変色し、オクタヴィアの襟へと変化した。美樹さやかは襟に刺さった剣を抜き、タクトの要領で振るった。海を纏ったマントがひらめき、勇壮な音楽が流れ出すと、召喚された『使い魔』たちが、わたしの『使い魔』たちと応戦しだした。

 ――……やめて。

 オクタヴィアは空中を水のように泳ぎ跳ねると、『わたし』に組み付いた。指揮棒を模した長剣が、手枷に振り下ろされる。音を造り出すそれは、空気を振るわせ、周囲に居た『使い魔』たちを吹き飛ばした。それ程の斬撃を誇ったが、手枷には傷一つつかない。

 戦場を見下ろしながら、インキュベーターは独り言のように言った。

「君たちは一体……」

 新たに現れた魔法少女に、美樹さやか。二人は、その言葉に反応したように不敵な笑みを洩らした。

「わたしたちは、かつて希望を運び、いつか呪いを振りまいた者達」

「そして、今は円環に導かれ、この世の因果を外れた者達。こうすれば、あんたの目を盗んで立ち回れると思ったのさ、インキュベーター!」

「美樹さやか……君は」

「まどかだけに狙いを絞って、まんまと引っかかってくれたわね!」

「そんな。じゃあ君たちもまた……」

 ――……円環の理。

「まあ、要するに鞄持ちのようなもんですわ。ほむらの結界を見て記憶喪失の効果を見抜いたまどかは、あらかじめ力を分散しといたって訳。記憶を取り戻した者から順に他の人に伝えていって、最後はまどかに届ける」

「正体を知られそうになったら、そのままドロン。わたしとさやか、どっちか残っていればそれで良かったのです」

「ほむら一人を迎えに行くのに、三人がかりとはねぇ。随分と手間かけさせてくれたけど、っと」

 しゃべりながらも、美樹さやかは迫り来る『使い魔』を余裕の表情で両断した。「まあ、あいつのためなら、仕方ないか。ここまで頑張って来た奴には、それなりのご褒美があってもいいもんね」

「さやかちゃん……」

 まどかは呆然と、成り行きを見ていた。今何が起こっているのかも、よく分かっていないのかもしれない。

 『使い魔』と『魔女』が入り乱れ、戦いの余波は各所に及んでいた。見滝原の町を、軍団はひしめき合い、映画のロケのように派手に破壊して廻った。まどかの足下の地盤が緩んだ。周囲はお菓子に変形していた。まどかがバランスを崩した。丁度、両軍の『使い魔』たちの攻撃が重なる位置で。

 ――……だめよ。

 すんでの所で、張り巡らしたリボンを掴んで巴マミがまどかを救出した。

「鹿目さん、私たちも行くわよ」

「はい」

 巴マミはそのままリボンを収縮し、廃墟と化したビルに飛び移った。まどかは矢を番(つが)え、空に向かって放った。先ほど出来たヒビに向かって吸い込まれていった。

 不完全な魔女。その不完全な部分に警鐘が打ち鳴らされた。

 ――……わたしを殺すつもりはない。

 ――……結界を壊し、ソウルジェムを通常に戻す。

 ――……円環の理へと導こうとしている。

 ――……インキュベーターの狙いを知らない。

 ――……足下を掬われた振りをして、何処かで観測。

 ――……助けなんて求めてない。

 ――……やめて。

 ――……もうやめて。

「だ・か・ら、一人で背負い込もうとするなっての!」

 美樹さやかは『使い魔』に囲まれながらも、そんなことを言ってくる。目を見張るほどの使い手に生長していた。それでも、あまたの『使い魔』に囲まれ、魔力の消費の激しさや疲労から徐々に苦戦を強いられていた。剣の動きを封じられ、死角から針が迫った。槍に受け止められた。

「っと、サンキュー!」

 美樹さやかと佐倉杏子は互いに背中合わせになった。 

「ちっ、わっけ分かんねぇことに巻き込みやがって……」

 美樹さやかはちらりと後ろを振り返り、笑みを浮かべた。

 二人は同時に駆けた。チ―ムで一、二を競う二人だ。次々と敵をなぎ払うと、凄まじい速さで押されていた戦線を押し返していった。

 ステップを踏み、剣を振る。さやかの動きは明らかにさっきより良くなっている。ナイトメアとの戦いでも、そうだった。美樹さやかは佐倉杏子と居るときの方が、ずっと生き生きしている。それは、佐倉杏子にも同じことが言えた。普段、反目し合っているかに見える二人は、いざ戦いになると無言のうちに呼吸がぴったり合う。繰り出す連続攻撃、息をつくタイミングまでぴったりと同じだった。ふぅっと大きく息を吐いた時、背中に何かが触れる。お互いの背中だった。

「……胸くそ悪くなる夢を見たんだ。アンタが死んじまう夢を。でも、本当はそっちが現実で、今こうして二人で戦ってるのが夢だって。そういうことなのかよ? さやか?」

「夢、って言うほど、悲しいものじゃないよ、これ」

 美樹さやかは明るい声で言った。「何の未練もないつもりで居たけど、それでも、結局、こんな役目を引き受けて戻って来ちゃったなんて。やっぱりあたしも心残りだったんだろうね。あんたを置き去りにしちゃったことが」

 佐倉杏子は顔を曇らせ、誰にも聞こえない声で、何か呟いた。

「なぎさはもう一度チーズが食べたかっただけなのです!」

 そんな二人の横から、なぎさと名乗る新しい魔法少女が、ぷりぷりした顔で横切った。

「ぅう、おい、こら!空気読めっての!」

 なぎさはあっかんべぇをしながら通り過ぎて行った。

 美樹さやかと佐倉杏子は手を取り合い、跳ねた。二人の体は青と赤に溶け、混ざり合っていった。その液体の中を、槍を装備したオクタヴィアが泳いだ。

 なぎさは見たことのない魔法少女だったが、最もよく働いていた。『使い魔』たちをクロッシュに封じると、食らう。何処か、お菓子の魔女を彷彿とさせる戦い方だった。しかし、同じものばかり食べ続けたせいか、さすがに食べ過ぎたのか、食傷したように膝をぺたりと地面につけると、『使い魔』に囲まれた。針が降り下ろされた。が、なぎさはリボンに巻き取られた。

 見滝原の町を快速列車が走った。豪奢な飾りにめかし込まれたその列車は、巨大な砲門を備えていた。長大な砲身に上るのは巴マミ。紅茶を飲んでいた。

「ティロ・フィナーレ!」

 戦局を決定づける一撃が放たれた。

 敵影の消えた戦場をオクタヴィアが跳ねた。その槍が結界に刺さると、その波紋が全天を駆け抜けた。青空の隙間から、鈍く輝く空間が顔を覗かせた。

「見えた!結界を覆う外殻なのです!」

「あれを壊せば、あんたは元の体に戻れるんだ、ほむら。外の世界で本当のまどかに会える!」

 ――……どうして?

 ――……やめてと言っているのに、どうして余計なことをするの?

 ――……わたしはこの世界で死ななきゃならないの。

 ――……これ以上わたしの気持ちを踏みにじらないで。

 ――……最後まであの娘を守らせて。

 結界の全てを見通していたわたしの視界は、暗闇に閉ざされた。

 募らせた穢れが、わたしを盲目にしたかのようだった。

 とうとうわたしは死んでしまったのだろうか。

 闇の底にどんどん沈んでいくような感じがした。

 インキュベーターの言っていた通り、こんなに真っ暗な場所では、例え、探そうだなんて思う者が居たとしても、きっと、見つけることはできない。

 これからずっと、いつまでもこんなところに居続けなければならない。そう思うと、自然に体が震えた。

 涙が、滴となって零れ、大きく跳ね、広がった。

 すると、不思議なことに、それが道となって、伸びていった。その先に、半月状の窓が現れた。

”駄目だよ、ほむらちゃん。一人ぼっちにならないでって言ったじゃない”

 ――……まどか。

”何があっても、ほむらちゃんはほむらちゃんだよ。わたしは絶対に見捨てたりしない。だから――”

 その向こうから真っ白い、大きな手が差し出された。

 縋るように救いの手を掴もうとした。

”――諦めないで”

 え?

 諦める?

 わたしが、何を諦めたというの?

 あなたを救おうとして。

 わたしは、そのためにこうして。

 それなのに、どうして、諦めるなんて。

 まどか……。

 あなたは、今でもわたしが円環の理に導かれて行くことを望んでるって思ってるのね。他の魔法少女と同じように。

 その通りよ。

 わたしは、あなたにもう一度会いたかった。

 でも、わたしの願いには、もう一つあるの。

”あなたを守れるわたしであること”

 そのために、かつて、わたしは同じ時間を繰り返してきた。

 繰り返される時間の中で、わたしはまどかを。

 あなたを。

 そうよ……。

 何度同じことを繰り返したにも関わらず、わたしは、あなたを救えなかった。

 その命を、この手で奪ったことさえある。

 そして、あの日。

 あの忌まわしいワルプルギスの夜に、結局、わたしの力は及ばなかった。

 守らなければならなかったはずなのに。

 あなたは、わたしのすぐ近くに立っていた。

 わたしを、全ての魔法少女を、救うために。

 結局、出会った時から、ずっと、あなたに守られ通しだった。

『お笑い草だわ。秘密を守ることが、あの娘を救うことになるのかしら?』

 そんな、心の声が聞こえた。

 ――……何なの?

『あなたが犠牲になって、今までと何が変わるの?』

 ――……でも、まどかの秘密が暴かれるくらいなら。

『目の前をご覧なさい。そこに居るのは誰?』

 ――……まどか。

 何処にも居なくなってしまった、まどか。

 いつの日か、円環の理に導かれでもしない限り、会えないと思っていた存在。

 でも。

 目の前に居る。

 普通の女の子として。円環の理から解放されて。

『あの娘は言っていたわよね?』

『”誰とだってお別れなんてしたくない”って』

 それがまどかの本当の気持ちなら。

『また、同じ失敗を繰り返すつもり?』

 わたしは。

 わたしは、その手を取った。

 視界は明るくなった。

 そこは結界内。わたしは、魔女と成り果てたわたしの頭部に居た。頭部と言っても、そこには顎しかなくて、真っ赤な花が咲き誇っていたはずなのに、今は桃色の花に彩られていた。

 隣には、まどかが居た。わたしたちは手を取り合っていた。

 ――……ごめんなさい。わたし、意気地無しだった。

 ――……もう一度あなたと会いたいって。その気持ちを裏切るくらいなら。

 ――……わたしはどんな罪だって背負える。

 ――……どんな姿に成り果てたとしても、きっと平気だわ。

 ――……あなたが側に居てくれさえすれば。

「さあ、ほむらちゃん、一緒に」

 ――……ええ。

 わたしたちは一緒に弓を構えた。まどかはチュ―リップ、わたしは手向けられていた黒薔薇、それぞれに装飾された弓を、結界の外殻を狙って。

「ほむらちゃん、怖くない?」

 ――……ううん、大丈夫。

 ――……もうわたしはためらったりしない。

 矢は、いともたやすく、結界を破った。

 それでも、すぐには見滝原の町はなくならず、上空に、破られた亀裂が、円環の理を象徴する幾何学模様として描かれていた。そこから増殖した無数の矢が反転し、見滝原の町に、わたしたちの動向を伺っていたインキュベーターの元に飛来した。

『訳が分からないよ』

 間もなく、結界を消失したわたしの意識は、遠のいていった。

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